ツバキ基礎知識1
- 語源と方言
- 「ツバキ」という呼び名は、
・ツヤバキ(光葉木・艶葉木)
もしくは
・アツバキ(厚葉木)
が転じたものであり、「光沢がある肉厚の葉の特徴に由来する」というのが定説です。
「あの花、なに?」「ツヤツヤの分厚い葉っぱの木です!」という、ちょっとシュールな発想の命名ですね。
- 用字と漢名
ツバキに「椿」という漢字を用いることになったのは、おそらく飛鳥時代に制定されたと思われる。
by 柳田國男
- 春を代表する木にふさわしいことから、「椿(木へんに春)」になったと推測できますが、『万葉集』の中では「都波伎」「都婆吉」「海石榴」などの字が当てられていました。
- また中国の古書『秘伝花鏡』『群芳譜』『輟耕録』『本草綱目』などには、「山茶」「鶴丹」「曼陀羅」「海榴」「耐冬花」と記されています。
ツバキを指してマンダラ、というのは面白い。
- 日本と中国の「椿」
- 中国にも「椿」という字はありますが、これは日本のツバキではありません。
和名庭漆(別名神樹)という落葉喬木の名です。
「臭椿」「白椿」「樗」などは、いずれもニワウルシのこと。
また「香椿」というのは、日本名チャンチンという落葉喬木で、ツバキとは別物です。
太古に大椿あり、八千歳をもって春となし、八千歳をもって秋となす。
by『荘子』
- 大椿は巨大で長寿の象徴として使われていますが、この大椿もツバキではなく、センダン科かニガキ科の落葉高木だとか。
ですので中国の「椿(Chun)」を、ツバキと解するのは誤りです。
このように、日本でいうツバキと中国でいう椿はもともと別ものなのですが、日本では混同されていた時代がありました。
・椿事(思いがけない大事件の意)
・椿説(珍説からの当て字)
といった言葉が生まれたのも、そのためです。
これが原因となり、ツバキと椿の間には混乱を招いたのでした。
でも、いいじゃありませんか。
椿、八千年。
ステキな響きですよね。
- 和名における誤用
- ツバキには「海榴」「海石榴」の文字を当てたことも、果実の状態がザクロに似ていることから生じた誤用であると思われます。
『日本書紀』に、天武天皇が吉野の人、宇閉直弓、海石榴を貢ぐ、とあり、これに白ツバキと訓を付けた。
『和名抄』には、海石榴の和名は豆波木、とあり、共に大いなる誤りである。
海石榴は、朝鮮ザクロなり。
ある説に、海石榴をツバキと当てることは、すなわちサザンカの一種、花は小さく、大きさは海石榴(朝鮮ザクロ)に似て、萼は青く、筒弁のものを、俗にワビスケという。
漢名は海榴茶である。
この海榴茶と海石榴を混同して、誤ってしまっているのだ。
by『古今要覧稿』
- 中国名
- 現代の中国語では、ツバキは「山茶」とされています。
これは中国原産のツバキが、南山山脈・雲南地方に多く自生していることから生じているそうな。
日本のツバキは「川茶」「小山茶」「茶花」と呼んで区別されています。
茶道の花に用いられるのも納得、というくらいに「茶」が用いられていますね。
- 英名・学名
- 英語では、ツバキを「Camellia」といいます。
世界各国で用いられる学名が、ツバキの呼び名としてこれを採用しています。
- カメリアという名は、1600年代のドイツ人、学者にして神父であるGeorg Joseph Kamel(1661-1706)の名からつけられました。
Georg Joseph Kamel - Wikipedia(英)
- カメル神父は、1688年に伝道の目的で東洋へ派遣され、最初はマリアナ島に上陸、のちにマニラに移って無料の施療院を設立し、現地民の病気の診療に従事していました。
彼は動物・植物学について広範な知識を持ち、伝道のかたわらフィリピンのルゾン島の植物を調査し、その報告書『ルゾン島植物誌』をイギリスで出版。
しかし現地で伝染病に感染し、マニラの地において45歳の若さで逝去なされました。
- 「植物学の父」カール・ボン・リンネは、その生涯を捧げたカメル神父の人徳を称え、植物学上の業績に敬意を表し、その名を登用の名花であるツバキの学名としたのです。
Carl von Linne - Wikipedia
- また、オランダ東インド会社の商船隊の主任外科医であったドイツ人エンゲルベルト・ケムペルは、1690年に長崎に来航し、3年間日本に滞在していました。
その間に日本の植物を調査し、帰国後1712年にその報告書「アモエニタタム・エキゾチカラム」と題する書物を出版。
これにより、西欧の人々が日本を認識し、日本に関心を持つようになった動機を作ったといわれています。
彼はこの書物の中で、特に茶樹について詳しく記し、ツバキとサザンカについては日本の呼び名そのままに、ツバキ、サザンカと表記しました。
Engelbelt Kampfer - Wikipedia
- 命名者リンネがCamelliaという学名を決定したとき、ケムペルに手紙を送って、その了解を得たというお話もあります。
japonica(日本の)という語が付いたのは、ケムペルの書物によるものと言われています。
もしリンネが日本語の知識を持ち合わせていたら、ツバキの学名は「Tsubaki」になっていたかもしれませんね。
- その他の呼び名
- タイワンツバキ、ナツツバキ、ヒメツバキなど、一見ツバキの類と思われる植物もあるが、
これらは近縁ではあるがツバキではありません。
-
ツバキカヅラはという南米チリの国花は、蔓性の植物で、ツバキとは縁遠いものです。